祖先伝来 三番舘創業の心
一、お客様があって 店があり
一、お客様があって 品があり
一、お客様があって 商いがあり
一、お客様があって 倖せがあり
一、お客様があって 私がある
創成期 1932年(昭和7年)

創業者
川瀬 善一

川瀬 ヒデ
川瀬善一は明治四十二年十二月六日富山県高岡市出身の呉服商川瀬清太郎、のう夫妻の次男として生まれました。
生家は当時旭川一の繁華街、師団通(今の買物公園)手広く呉服商を営む商家でありまして、地味で堅実で庶民に親しまれた店でした。
旭川を代表する商人として一時代を築いた川瀬社長の才能と一家全てが商売に打ち込む家風は遠くそこに発していると思われます。
川瀬ヒデは大正四年一月一三日上川郡東旭川村下二号線(今の東旭川愛宕)で中橋豊三郎、ヨネ夫妻の三女として生まれました。
生家は富山県上新川郡出身の素封家で当時東旭川村で広大な農地と美しい池をもつ豊かな地主であると共に、学問にも深い理解と造詣のある家風で、メルヘンと詩情に溢れる少女時代を送りました。
昭和7年奇しき因縁で、社長夫婦が結婚された年に父清太郎氏は、三条十五丁目にあった当時としては大変モダンな建物であった三階建の三番舘を買収しその経営に乗り出す事となりました。そしてその経営責任者として次男善一氏を派遣することとなります。
戦時期 1935年(昭和10年)~1945年(昭和20年)
戦争が太平洋全域へと拡がっていた頃
商売のあり方も大きく変化しました。
あらゆる生活必需品が不足し統制規則が強化されて多くの店が廃業することになりました。
三番舘も仕方なく僅かな転業資金をもらって廃業することになりました。昭和十六年の事であります。その後は模型飛行機とか教材文具の販売と僅かに残った衣類品を売り継ないで終戦迄迎える事になりますが、それすらきびしい統制の網にかかって、まことにやりずらい暗黒時代に入る訳です。
躍進期 1963年(昭和38年)~1967年(昭和42年)

昭和38年
川瀬家長女 俊子と元自衛官 大蔵業立
昭和三十八年丸善三番舘は創業三十年目を迎えて会社組織「株式会社丸善三番舘」にすると共に長女婿の大蔵業立氏が自衛隊幹部を退職して入社することになりました。
悲運! 1968年(昭和43年)店舗全焼

昭和43年4月17日12時 店舗全焼、当時テレビにて全国中継される

店内は新入学セールを終えた余波が残っていて、目前に迫った花見シーズンを控えて一斉に衣替えすべく慌ただしい動きをしていました。
正午近く、仲通り側木造部分の二階屋根附近に現れた小さな火は、瞬く間に屋根裏を走って隣接の食堂、事務所、倉庫、店舗全体を嘗めつくし、1932年創業以来三十六年間で築き上げた延約500坪の城と億に近い商品は数時間後には高さ5mに及ぶ廃材と瓦礫の山と化してしまいました。
幸いに昼火事でもあり、社員たちの懸命な誘導で店内にいたお客様の避難も出来て、一人の怪我人もありませんでしたが、近隣に類焼する家もあり、稀に見る大火として市民を驚かせました。
復興期 1968年(昭和43年)~
焼跡の煙も消えぬ中に早くも復興の槌音が高く挙がり、翌日から焼失した建物の片づけが始まりました。
そして、店舗全焼より3週間後多くの方達の協力の元で木造2階建百四十坪の仮店舗が完成し、三番舘が開店したのは五月七日です。
仮店舗の営業が予想以上の好調である事に励まされ、本格的再建計画に着手したのは仮店舗による営業再開の直後でした。
その後、新店舗によるオープンは十月一日でした。屋上に高く上がったアドバルーン。仕入先から生花に飾られた店内。スカッと晴れた秋晴れの此の日、開店前から並んだ御客様は500人を軽く超えていました。
好調な売上増と共に増築を重ね今現在している大型店舗に成長した訳です。
又、一方では当時の市民生協永山店、永山農協点、神楽店、末広店、しあわせ市場店と消費者様の便利性に応えるべく、支店もございました。
全盛期 1980年(昭和55年)~
この頃旭川市の人口は36万人を超え人口はピークを迎えました。
三番舘はさらに店舗を広げ、岩見沢店、深川店、滝川店、旭川永山アスパ店、札幌店、富良野店と本店を含め7店舗営業しておりました。
店内も商店街も毎日賑やかで、日本経済全体が活気に溢れていた時期です。




平成12年
大蔵道友(長男)
大蔵康子

平成10年
大蔵謙造(次男)
大蔵真美
過渡期 2000年(平成12年)~
事業環境の変化に伴い、各エリアの店舗を順次閉鎖し、現在は旭川本店と富良野店の2店舗に集約して営業しております。今後はこの2店舗を中心に、より一層店舗の活性化と商店街全体の発展を目指し、様々なイベントを企画・開催するとともに、地域のイベントにも積極的に参加してまいります。



三番舘の不思議
ど~してか? 聞いてみたかったのよ三番舘…。
なぜ阪神タイガース?
二代目社長 大蔵業立(なりたつ)が昭和30年、学生時代たまたま見た巨人×阪神戦で、阪神タイガース野武士軍団のダイナマイト打線と応援団の熱狂に感銘を受け、それ以来ゴリゴリのタイガースファン。商売にも生かせると!三番舘に入って以来毎年優勝セールを目指すもほぼ残念セールを繰返す三番舘であります。












